当山の開基は聖徳太子である。
,三十一代用明天皇が御病気の砌、霊夢をご覧になり即ち,七彩の雲,天より降り金衣白髪の老翁現れ「,二名の島(現在の四国)に霊地あり、梵舎一宇を建立せば病脳忽ち平癒すべし。」と、聖徳太子は命を受けてこの地に渡り、あまねく霊地を探される時、林の中で一夜を過ごされし暁方、霊鳥に乗って金衣白髪の老翁飛来し、仏法有縁の霊境なりと告ぐ。よって、ここに七堂伽藍を建立す、竣工の折彼の老翁ふたたび飛来し一七日の間御堂に篭り本尊を安置す。天皇の御病気平癒し、教王院の山号をたまわり、祈願寺となされる。

後、天平年間に行基菩薩御止錫され、堂宇を建立して十方信徒を済度されしというも詳らかならず。 百有余年後の、大同年間、弘法大師が四国御巡錫の折、当山の麓にて一人の女が難産に苦しむをご覧になり、秘呪を以て祈らせ給うと、女人忽ちに安産となり玉の如き男子、呱々の声をあげたり。その声妙音、梵音と谷谷に響き渡れりと伝わる。大師は暫く当寺に留まられ塔中六坊を御開基され、自らも其の一坊に入られ、唐土より御請来の金像一寸八分の大日如来を当寺本尊の胸間に納められ,脇仏不動明王の彫刻を残され,女人安産の事より、その救済を思われ,女人成仏,安産,子育て,お身代わり,の秘法を伝え置かれたり。

当山が子安の弘法大師と称す由縁ここにあり

また大師は当山御留錫中唐木栴檀をもって本尊に薫じ十七日間護摩秘法を修せられしより当寺を栴檀山教王院香園寺と称す。

斯くして四国八十八ヶ所第六十一番霊場と定め給う。一度詣でし輩は一切の罪障を消滅して,現在安穏,後生善処の仏果を得んとの御誓願あり。ご詠歌に

  後の世を おもえばまいれ 香園寺
        とめてとまらぬ  白滝の水


弘法大師ご詠歌
  あな尊と 子安大師の ご利益を
         うけし産子の 声ぞいさまし


その後,数百年を経て、法灯なお盛んなりしも、戦国時代となりて、元亀天正の乱に長曽我部の兵火にあい、七堂伽藍悉く灰燼に帰し、寺運は衰退の一途をたどりぬ。

明治三十六年、瑞円大和尚住職となり、子安大師のご誓顧により大正の初め子安講を創始され、日本全国はもとより、朝鮮、台湾、満州、青島、遠くはアメリカまでも布教せらる。

かくて全国に二十万を超える信者を得、伽藍を建立し信者や巡拝者の宿泊施設も完備され、日夜人々で賑はい「子安のお大師さん」と人々から親しまる。また四大誓願の秘法を以って加持祈祷をなされ其の霊験あらたかにして現在におよぶ。






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